ふふふのふ

思考の整理のために書いています。雑記。

春の空と乙女心

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大事な話があるからいつもの喫茶店に来て!と友だちから連絡があった。さいきん、わたしのまわりは、結婚ラッシュなので、おめでたい報告だろうなと思って、うきうき気分でドアを開けると、真っ赤な目をした彼女が待っていた。3年付き合った人に振られたらしい。

わたしは、まだ冬にケジメがつけられていないんだよね。あの人と「今日も冷えるね」と言い合うのが好きだったし、底冷えする日に、一緒に作ったシチューの温かさが忘れられないからかもしれない。一直線に暖かくなってくれたらいいのに、今日みたいにさ、寒くなると思い出すんだよね。天気は毎日ころころ変わるから、わたしの心も定まらないんだ。気持ちはもうないはずなんだけどね…と、彼女。

 

こういうとき、どんな言葉をかけてあげたら良いのだろう。わたしの頭の中は、今までの出来事が走馬灯のように蘇る。本棚にあった小説を何気なしにめくると、「気になる、はすぐ好きになる」と書いてあって、ドキッとした。あぁ、やっぱりまだ好きなんだなと思った。何にも言えない。恋愛偏差値20のわたしは、もう、黙って話を聞くしかできなかった。なさけない。マスター特製のココアがしみる、そんな、日曜日の夕方。

 

電話について

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電話はなんだか、暴力的な感じがする。それまでの日常なんておかまいなしに音が鳴る。家で本を読みながらゆっくりしてようと、喫茶店で友だちと近況報告をしていようと、帰宅の自転車をこいでいようと関係ない。あ、電話だ!と思ってびっくりする。電話じゃないといけないなんて、何か悪いことでもあったんじゃないかと思う。取れないとなぜか申し訳ない気持ちになる。電話をかけ直すのも億劫な感じがして、ついついそのままにしてしまう。

そんなことを考えておきながらも、電話をしたくなることがある。誰かの声が聞きたくて。ひとりよがりな話を聞いてもらいたくて。文脈を奪ってしまうことをわかっていながら発信ボタンを押す。忙しかったかな… なんて、ふと我に返り後悔する、呼び鈴六回目、「もしもし…?」と、ちょっと不思議がる様子で電話が繋がる。その時間だけは、相手を独占するようで、いじわるで卑しくて、贅沢な気持ち。
わたしはなんて嫌なやつなんだろう。だけど、とても嬉しくなって、他愛もないことをたくさん話す。それから満ち足りた気持ちになって、電話を切った、そんな土曜日の夜。今日はお肉をたらふくいただきました。おかげで顔がテッカテカです。

今、気づいてよかった。ちょっと、いや、だいぶ遅いけど。

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最近、営業のおじさんと仕事するようになって、考えたことがある。おじさんは、やたら感謝を言葉にする人で、ささいなことでも「ありがとう」を口に出す。こういう人と仕事をしていると、わたしはまだまだ未熟だなと思ってしまう。

おじさんから学んだことは、相手の気遣いに気づくこと。小さなことでも、相手のその行動がわたしのことを考えてしてくれたことなら、その全てを拾う。例えば、自分のための時間を空けておいてくれたり、待っていてくれたり、こちらが謝らなければと思っている時に別の話題を振ってくれたり。そういう積み重ねひとつひとつを見逃さずに感謝できれば、それに見合うだけの行動ができるようになるし、自然と「ありがとう」が増えるのだ。

わたしは本当に今まで気付けずにいた。気付けないということが何よりも罪深かったのだと、過去を思い返して本当に恥ずかしくなった。やってもらえることにあぐらをかいて、感謝の言葉も言えてないなんて、いったいお前はどこのお嬢様なのでしょうか。

自分の行く末が恐ろしくなった。そして、何よりもほっとしているのが、今気付けてよかった。もう少し早く気がついていればよかったけれど…。とても反省している金曜日の夜。今夜は夜更かしします。

ログアウトしてみた

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Twitterが凍結して5日たった。ログアウトしたら元に戻るかなといろいろ試したけれど、だめだった。だからもう、そのまま。ログインできないまま放置している。Twitterって人の頭の中をのぞいているようで楽しいけれど、のぞきすぎて疲れることもある。2か月前のわたしのつぶやきは、ほんとうに酷かった。心に余裕ができて読み返したとき、これがみんなのタイムラインに流れていたのかと申し訳なくなった。このブログに気がついてくれる人がいるのか分からないけれど、あのときは、不快な思いをさせてごめんなさい。あの場ではもうつぶやけなくなったけれど、元気です。生きています。

 

人って自分が思っているほど、他人のことを気にしていないし、自分のことで精一杯だと思うから、生きてるか?ってわざわざ連絡くれた友達は、わたしのことが好きなんだろうな。うぬぼれなさんな!といわれそうだけど、ちょっとうれしくなった、そんな水曜日の夜。

花を愛でる余裕をもつ

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花は良い。血となり肉となるわけでもなく、着飾るものでもなく、使うと効率的に作業がこなせるわけでもなく、寒さをしのげるわけでもなければ、自分の英知となることもない。ただそこに、物体がポンとあるだけで、なんだか、あざといなー!と言わんばかりに美しくて、ついつい惹き付けられてしまう。利益をもたらさない、ただ美しいものが存在するだけ。そういうところが、良い。

そこに存在するだけで豊かな気持ちになれるような、そういうものに最近触れていなかったな。心の余裕を持つことって大切。

 

結婚式でキャッチしたブーケをみんなでわけわけした。そろそろ、私たちも幸せになりたいねぇとか言いあって。次は誰の番だろうと考えながら、ひねった足首の湿布を貼り替える、火曜日の夜。

どこもかしこも春めいて

 

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春のはじまりってなんだか困ってしまう。お散歩しているだけなのに、外は明るいし。ぽかぽかしていて、もうなんなの、どうしたらいいの!って気持ちになる。見上げれば空が青いってだけで、そわそわとしてしまう。かと思えば、またちょっと寒くなったりしてね。春っていうのは、どういう心構えでいたらいいのかわからない。とりあえず、カメラもって出かけるといいのだろうか。

 

今年の春は別れが多かった。行きつけの美容師さん、会社の後輩、大学の友達、みんなサヨナラしてしまった。それぞれの場所に帰っていった。会おうと思えば会える距離ではあるけれど、会えるのはもう少し先な気がする。それか、もう二度と会えないか…。ちょっぴりさみしい春になってしまったけれど、そんなもんだよね。春って。

春は新しく始まるスタートのイメージが強いけれど、同時に終わりとか別れとかそういうものもあると思っていて、別れ・終わり=はじまり。結局その別れと終わりも始まりにつながると思う。と、クリープハイプ尾崎世界観がラジオで言っていた。

なるほどな。そうだよな。という気持ちでいっぱいになった。できれば、別れや終わりは来てほしくないけれど、それだと、その場で淀むことになるし、進まないし、いろいろダメなんだろうな。つらいとか、さびしいとか、不安とか、いろいろな気持ちを引き連れて進まないとね。

 

明日から、みんな、それぞれの場所でがんばるんだ。無理せずに。

元気でね。

 

島をわたって

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カメラと青春18きっぷを持って、始発電車に乗った。尾道経由で実家に帰ろうと思った。千光寺山ロープウェイで山を登って、ポンポン岩で尾道水道をぼーっと眺めて、観光で来ていたおばあちゃん達とおしゃべり。

おしゃべりが楽しすぎて、ふと我に返ったとき、ちょっぴりさびしくなった。思い切り深呼吸しながら再び坂を下る。古民家カフェで足を投げ出してだらりとひと休みしたり、たまたま出会ったネコたちと遊んでみたり。なんとなく、あてもなく、路地をぷらぷら歩く。古いアパートの角を曲がったとき、なぜだかふいに懐かしい気持ちがあふれた。わたしはこの景色を知らないはずなのに。なんだろうね、この気持ち。

 

たくさん歩いて、たくさん写真を撮った。なんだか日常に疲れている気がしたけれど、そんなことはどうでもよくなった。尾道から島が幾重にも重なって見えるのと、伯方島の海の色と、来島海峡大橋から見た夕日。すてきだった。海と山の町はいいね。また行きたい。次は自転車でしまなみ海道を渡るんだ。

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