深夜のおやつ
仕事の山場を越えたある夜のこと。街の雑踏の中を重い足取りで歩きながら、なぜだか突然、カヌレが食べたい!と思った。そう思ったら居ても立ってもいられなくなり、駅のデパートへ駆け込んだ。
デパ地下のパン屋さんを覗いてみる。ない!ならばケーキ屋さんへ。こちらも、ない!。別の売り場へ行ってみる。ない、ない!。そういえば、駅の向こう側におしゃれなパン屋さんができていたなとダッシュで向かう。しかし、ここにもなかった。
途方に暮れかけたその時、そういえば、この前、友達がくれたカヌレのお店が近くにあることを思い出した。大通りをダッシュする。息も切れ切れに閉店間際のお店に入ると、カヌレがポツンとひとりで待っていた。最後のひとつを買い求め、大切に抱えて家路を急ぐ。
温かい紅茶とともにいただいた。求めていた味が口の中に広がる。これだよ、これ。安堵とともにしあわせなためいきがもれた。
はんなり乙女になりたい
先日会った友人が「いけず」という言葉を使った。関西に住みながら、生で聞くのは初めてだ。京都に4年間住んでいたけれど、一度も聞いたことがなかった。思わず「いけず?」と聞き返したが、真面目な顔でうんと頷く。いけずな上司がいるのだという。彼女は京都の伝統文化に関わる仕事をしていて、なるほどそういった世界では現役で使われる言葉なのだなぁと感心した。
また別の日、焼肉の網の上、焦げた肉を指差して「食べよし!」と笑った人がいた。「~よし」京都の女学生の間で流行した言葉だと高校時代の教科書に載っていた。「~しなよ」という意味である。まさか、これも現役なの!?今度の友人は病院の事務。京都の街の生まれでもない。
「よしって使う?」とまたしても聞き返したが、「うん、使う」といわれて終わった。わたしが知らないだけで、京言葉は案外残っているらしい。
おおきにもおいでやすも積極的に使おうとは思わないけれど、「いけず」はちょっといい。意地悪よりも可愛いような、それでいて底意地の悪いような不思議な感触。「~よし」も悪くない。
もう女学生ではないけれど、使っていいのなら使いたい。見よしとか行きよしとか。やっぱりちょっと可愛い気がする。うまく取り入れれば、女度を上げることができるんじゃないだろうか。
そういえば、わたしが日常的に使ってしまう京ことばがひとつだけ。目上の人への「~しはる」。社会人としては「~される」が正解ですよね、すみません。
オンではきれいな敬語を、オフでははんなり京ことばを。
京美人への道は遠い・・・。
わたしは、ダサい
「君はダサいよね」って言われた。
知ってる。それは自分が一番よく分かっている。たぶん、服もダサければ、生活もダサいのだ。
ダサいって言ってきたあの人や、わたしの知ってる素敵な人、会社のあの子。とても垢抜けているんだけど、特別気取った感じではない。彼らの美意識は、どこから来ているのだろう。彼らのようになりたくて、ちょっとだけ真似してみる。迷ったときは「あの子ならどれを選ぶだろう?」なんて想像してみたりする。けれど、いつまでたっても野暮ったいままだ。あんなふうになるには、どうしたらいいんだろう。
考えてみると、彼らは有名なブランドの服を着ている風では無いし、高価そうなものや、雑誌で見たことがあるアイテムを身につけている訳でもない。別に気合を入れたコーディネートということでもなく、適当に選んだ部屋着でいたとしても、自分のものになっている。
たぶんそれはきっと、その人の感性の美しさがなせる術なのだろうな。彼らの思考や好みを垣間見る限り、日常生活から、自分にとって美しくないもの、好ましくないものを排除していることは確かだ。
素敵なひとたちは、ダサいところがひとつもない。いっぽうわたしはどうだろう。おしゃれなものを買ってみたり、メイクを変えてみたり、気取ったカフェに行ってもどうしても野暮ったいのは、それ以外がダサいからだ。
それからわたしは、毎日ひとつずつ「ダサい」部分をなおしていくことにした。一度に全部はできないから、少しずつ。まずは玄関先。靴箱がいっぱいで、入らない靴がたくさんあった。これはダサい。ボロボロのスニーカーはさすがにもう捨てて、季節物の靴は箱にしまう。出しておく靴をひとつにすると、なんともすっきりとした。あとはシワのついた服にアイロンをかけてみるとか、ちょっと背筋を伸をばして歩いてみるとか、ほんとうにちょっとしたことだ。ちょっとしたことだけれど、いいことをしてる感がとても気持ちがよい。
美意識は、すぐには身につかないかもしれないけど、ひとつずつまずは部屋をダサくなくしなくちゃね。わたしの部屋はポスターだらけなので、まずは剥がすところからはじめよう。ダサい生活からぬけだそう。
もういちど、はじめてみる
気持ちや思ったことというのは、自分のなかでわかりやすく整理されているつもりになっている。しかし誰かに伝えようとしてもうまく説明できないことが多い。気持ちや思ったことが言葉にされていないからだ。
わたしは、本当は口頭で表現するのがとても苦手だ。聞かれたら答えられるけど、ひとつの文として話していくのが瞬時にはできない。そして頭の中が言葉で溢れて、言わなくていいことまで言ってしまうくせがある。話がうまい人は、どうしているのだろう。話しながら構成を考えているのかな。頭がいいんだろうな。
言葉にすることというのは、他人に伝えられるようになることだとも思う。素敵だな好きだなというふわっとした気持ちに、名前をつける(言葉にする)だけで、他人にその気持ちを分かってもらえるかもしれない。
何にせよ、あれこれ考え込んでしまう性格だから、思索を言葉でほどいていこうと思った。言葉を文字にすることで頭の中を整理しようと思った。一度頭の整理ができると、口頭で話すのが楽になるかもしれない。
とっても恥ずかしいけれど、学生のころの日記も残しておこうと思う。 わたしも歳をとったな。 5年前のわたしへ。やりたい仕事についてるよ(働き方には問題あるけど)。いっちょまえに髪を染めたよ(内側だけど)。いっちょまえに恋をしてみたよ(フラれたけど)。星野源の時代がくるよ(まだ追いかけてるけど)。自分を追い込む性格は変わっていないよ(ほどほどにね)。