わたしは、ダサい
「君はダサいよね」って言われた。
知ってる。それは自分が一番よく分かっている。たぶん、服もダサければ、生活もダサいのだ。
ダサいって言ってきたあの人や、わたしの知ってる素敵な人、会社のあの子。とても垢抜けているんだけど、特別気取った感じではない。彼らの美意識は、どこから来ているのだろう。彼らのようになりたくて、ちょっとだけ真似してみる。迷ったときは「あの子ならどれを選ぶだろう?」なんて想像してみたりする。けれど、いつまでたっても野暮ったいままだ。あんなふうになるには、どうしたらいいんだろう。
考えてみると、彼らは有名なブランドの服を着ている風では無いし、高価そうなものや、雑誌で見たことがあるアイテムを身につけている訳でもない。別に気合を入れたコーディネートということでもなく、適当に選んだ部屋着でいたとしても、自分のものになっている。
たぶんそれはきっと、その人の感性の美しさがなせる術なのだろうな。彼らの思考や好みを垣間見る限り、日常生活から、自分にとって美しくないもの、好ましくないものを排除していることは確かだ。
素敵なひとたちは、ダサいところがひとつもない。いっぽうわたしはどうだろう。おしゃれなものを買ってみたり、メイクを変えてみたり、気取ったカフェに行ってもどうしても野暮ったいのは、それ以外がダサいからだ。
それからわたしは、毎日ひとつずつ「ダサい」部分をなおしていくことにした。一度に全部はできないから、少しずつ。まずは玄関先。靴箱がいっぱいで、入らない靴がたくさんあった。これはダサい。ボロボロのスニーカーはさすがにもう捨てて、季節物の靴は箱にしまう。出しておく靴をひとつにすると、なんともすっきりとした。あとはシワのついた服にアイロンをかけてみるとか、ちょっと背筋を伸をばして歩いてみるとか、ほんとうにちょっとしたことだ。ちょっとしたことだけれど、いいことをしてる感がとても気持ちがよい。
美意識は、すぐには身につかないかもしれないけど、ひとつずつまずは部屋をダサくなくしなくちゃね。わたしの部屋はポスターだらけなので、まずは剥がすところからはじめよう。ダサい生活からぬけだそう。